EPISODE 3 佐藤さんの生い立ち-10代純情編-
■ 5 ■ 貸本をつくる小学生
トン子編集部(以下編):では次に佐藤さんの生い立ちについてお聞きしたいんですけど、
デザインへの目覚めはなんですか?
佐藤:母親が絵を描いていたりとか、兄貴と姉貴が美大に行ってたりとかしてましたもんで、
とにかく絵を描くことに関しては、小学生よりもっと前から当たり前にやってました。
タイポグラフィとかも……当たり前のように中学生の時にはやってましたですねえ。
編:それは個人的な趣味として?
佐藤:趣味っていうか、風景と同じように、そこに存在しているものであればなんでも
それを描けなきゃいけないっていう思いがあったんですよ。
でもねえ、どんなにできても、上の人間と5歳も10歳も離れてますから
いっつもコテンパンに言われるじゃないですか。デッサン力から何からもう雲泥の差でしょ。
僕が小学校に入った時には、向こうはもう中学生だったりするから
比べればそりゃ下手に決まってるんですけど、それでも同じように言われるから
「クソッ」と思って描いてたわけです。
編:すごい家族ですね……、末っ子なんですか?
佐藤:そうです。4番目なんです。5歳ずつ離れてるんで、一番上とは15歳も差がある(笑)。
で、やっぱり漫画家になりたかったんですよ。小学生の時って。
自分で本を読み漁って『まんが道』※読んだりとか、あらゆる漫画家になるための本は全部読んで、
小学生の時にとにかくデビューするつもりでいましたから、ペンから何から全部揃えて。
どういうふうに入稿するのかっていうことも全部自分で調べて、
あとはどっかで賞をとることだと思ってとにかく描き始めたんですよ。
んで、本を読んで吸収してる知識とかが、異常に古いんですよね。
出版のサイクルも今とは違ったし、それを書いてる人たちは古い人たちだから、
“自分たちは貸本※から始めた”とかって書いてあるんですよ。それを真に受けて
「じゃあそれやんなきゃ」と思って、自分で貸本をつくったり、友達に読んでもらったりとかして。
「これが貸本かなぁ? なんかちょっと違う気がする……」とか思ってましたけど(笑)。
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※『まんが道』:原作・藤子不二雄A
二人の出会いからマンガ家駆け出し時代までに多少の脚色を加えた、ある意味ノンフィクション作品。
【まんが道に見る藤子不二雄史】
http://www2u.biglobe.ne.jp/~comefx99/masai.htm
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※貸本:1960年代市販の漫画は240円(当時で2000円相当)もしたため、
レンタルビデオ屋のように貸本屋があり、1冊を1泊2日10円で借りることができた。
その貸本用に描きおろされた漫画を貸本漫画と言い、当時貸本専門の出版社や漫画家も多かった。
【貸本漫画のページ】
http://kan-chan.stbbs.net/manga/kashihon/
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編:佐藤さんが小学生時代の頃って、貸本屋っていうのはあったんですか?
佐藤:いやいや、ないですないです。東京にはあったかもしれませんが地方の小学生ですから。
でも、その当時の漫画家の人たちがデビューした頃っていうのは、
まだマーケットが広がってなかったし、貸本からのスタートになりますよね。
編:水木しげる※とかも貸本からですよね。
佐藤:そうそう。そういう人たちが体験談を書いてるのを読んでるわけだから。
「あ、貸本ってこういうことかな」って自分でストーリーをつくってみたりとか。
あとは……今ほど漫画が多くなかったし、そんなにすぐに棚が変わったりしないですから
同時代の雑誌よりもその時点で出回ってる単行本漁りに走るわけですけど。
で、石ノ森章太郎※が『サイボーグ009』を途中で中断してるのを発見するんですよね。
「いつか描く」っていうことで突然終わらせちゃってるんです。
で、「僕が描かなきゃ」と思って、描き始めるんですよ、その続編を。
編:それって何年生くらいの時の話なんですか?
佐藤:5、6年生じゃないですかね。『サイボーグ009』には天使が出てくるんですけど、
それが良い者なのか悪い者なのかっていうのが、わりと宙ぶらりんに描かれているんです。
で、「この展開はさすがに難しいな……」とかって
子供心にもそう思いながら真剣に描いてたんですよ(笑)。
編:最初、ストーリーを頭の中で描いてから?
佐藤:そうですよ。だって続編を描かなきゃいけないわけだから。
でも、たいしたアイデアは出てこないんで「まあいいや、表紙から描こう」とかって、
まず単行本の表紙から描き始めたりしてるんですよ(笑)。
確か9巻あたりで終わってたと思うんだけど、「じゃ10巻の表紙を描かなきゃ」と思って。
その天使の絵を描いて、着色してみたりして。
その年代の中では絵はうまかったとは思うんだけれども、
いきなり今日描いたってだけのものとプロのものとを見比べながらの作業なわけだから、
さすがに「描けてないな〜」っていうのが自分でもわかるんですけどね。
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※水木しげる(みずき・しげる):1922年生まれ
武蔵野美術学校、紙芝居、貸本マンガを経て漫画家となる。
代表作は『ゲゲゲの鬼太郎(当初は『墓場の鬼太郎』紙芝居漫画)』『悪魔くん(貸本時代の作品)』など。
【水木しげる妖怪ワールド】
http://www.japro.com/mizuki/set.html
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※石ノ森章太郎(いしのもり・しょうたろう):1938年-1998年
『サイボーグ009』『マンガ日本経済入門』『仮面ライダー』『秘密戦隊ゴレンジャー』など、
子供から青年・ビジネスマン向けまで多彩なストーリー展開で知られる。
赤塚不二夫、寺田ヒロオ、藤子不二雄の各氏らが住んでいた豊島区のアパート「トキワ荘」のメンバーのひとり。
【石ノ森章太郎氏を研究】
http://www.lcv.ne.jp/~morigin/
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■ 6 ■ タイポグラフィーに狂ずる小学生
佐藤:でもその時にね、吹き出しの中の文字は活字でしょ?
こればっかりはどうやったらいいのかわからなくて。
タイトルのレタリング※とかは徹底して練習しているんですよ。
いつ手塚治虫に呼ばれても、赤塚不二夫に呼ばれても、石ノ森章太郎に呼ばれても、
「ちゃんと描き分けられなきゃいけないからな」とかって思ってんの(笑)。
まあ、バカなんですけど。そんなこと思ってること自体が。
「あ〜、なるほどな、石ノ森章太郎はココんとこ丸くなるんだな」とか。
赤塚不二夫の「ボカッ」っていう、あの「ボカッ」っていう描き文字を見ただけで、
みんなは無意識に「あ、赤塚不二夫の漫画だ」っていうふうに思ってるわけでしょ。
それを見分けられるのは読者で、描き分けられるのが作者なわけだから、
「描き分けられないようではヤバイ!」って思ってて。それで練習してたんですよね。
「ヤバイ!」っていうのは最近の言葉なんで当時は「アカン!」って思ってたんですけど。
……スミマセン、どうでもいい話で。
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※レタリング:筆やペンなどで、新聞や本などの本文の基本文字や、いろいろな表情や感情を持ったデザイン文字を描く技術。
【レタリングとデザインについて】
http://karudan.tripod.co.jp/pop%20dezalettering.htm
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佐藤:それで、最後に残った文字っていうのが、吹き出しの中の活字なんですよ。
これはさすがに描けないと思って。でも描こうとするんですよ、辞書とか見ながら模写したりして。
で、かなりイイ線までいってるんだけど、何文字か並べて見ると、やっぱりどうしても
手で描いた痕跡が残るんですよ。それで「これでは漫画家になれない!」と。
そんなこと全然関係ないに決まってるんですけど。冷静に考えれば。
で、道具も近所では揃わないし、スクリーントーン※の存在だってその時は知らなかったんですよ。
だからもう、自分で超均一に塗ろうとするわけ。でもムラと筆跡はどうしても出ちゃう。
「これはどうもおかしい」っていうんで調べてみたら、
スクリーントーンっていう最初っから均一に仕上がる便利なものがあると。
当時、僕は阪急の京都と大阪の間のへんに住んでたから、沿線でいちばん開けてた梅田まで行って、
漫画に必要な道具一式とか、ものすごい数のペン先とか、
そういうものを画材屋で発掘しては喜んで、買い漁ったりっていうことをよくしていて。
さすがにベレー帽はちょっと迷いましたけど。でも、カツキさんの子供の頃の写真を見ると
被ってますよね、ベレー帽を。そこが分かれ目かもしれないですね。
で、なんの話でしたっけ。ああ、活字か。そう、それで、ギリギリまで活字の研究をやってるんです。
本屋さんとか文房具屋さんとか回っていろいろと教えてもらって、
やっと鋳造された活字っていうものがあるっていうことまでは追いつめて。
でもやっぱり小売りはしてないでしょ、活字は。
だから、ようやく手に入れたのは、ナンバリングするための数字と数文字だけのゴム印のハンコ。
会社かなんかで使う事務用のものだったと思うんだけど、
それで自分でつくった貸本の数字のところをハンコで押したりとかして(笑)。
何やってんですかね。わけがわからないですけど。
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※スクリーントーン:漫画の背景やキャラクターの服の模様などにつかうシールのようなもの。
【漫画の描き方】
http://souken.soc.or.jp/man/html/kouza.html
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編:やっぱりこだわりはあったんですね(笑)。貸本は長く続けていたんですか?
佐藤:いや、続けてないですよ。1冊くらいつくっただけで。
だってやってたら、なんかおかしいなって気づくじゃないですか。
まわりの反応とか見たって。貸本っていうのは何人かでやってるものだから、
「お前も描け」とかって仲間を集めるんだけど、いきなりそんなこと言われても誰も描けないから、
すぐに孤独に陥っちゃって。どうもこれはちょっと違うらしいと。
編:じゃ、その画材屋でペン先なりを眺めていたのは小学生の頃?
佐藤:そうです。あとは中1〜2にかけてぐらいまでですね。活字のことを調べたり、
スクリーントーンのこととか印刷したらどうなるかっていうことをやってたのは小学生。
編:コワッ……(苦笑)
佐藤:自由研究とかってあるでしょ、夏休みの時に。
あれで漫画の原画と印刷されたものの違いっていうのをテーマに、
どういった工程でできるかを全部自分で調べて発表してた。
その頃に、スクリーントーンと、印刷で分解された網点※っていうのは似てるんだけれども、
そもそも工程が違うとかっていうことを自分で調べて突き止めてるんですよ。
そういうものを模造紙いっぱいに書いて、「これがスクリーントーンです」とか
「印刷して分解されたものが例えばこれです」とかっていうふうに比較して、
「漫画っていうのはこういう時にこういうモノを使って、こういう場合はこうなるんです」って。
あと、自由研究で憶えているのは「錯視の研究」と「原寸大首吊り人形」。
「原寸大首吊り人形」は発表自体を拒否されて放棄させられました。
これは漫画とは直接関係ありませんが、とにかく、モノをつくることが好きだったんです。
ロボットと映写機にも挑戦しましたが、うまくいきませんでした。
その時の挫折感っていうか「ダメな人間だなあ」っていう気持ちはいまだにあるんですよ。
今の自分に対しても「所詮、敗北者のやってること」って思ってますからねえ。
他にも、中古バイクのエンジンを使って車につくりかえる計画とか、
不法電波で海賊放送局をつくる計画とか、ぜんぶ挫折しましたから。小学生の間に。
編:小学生でする挫折じゃないことは確かですね...(やや引きぎみ)
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※網点: 濃度によって大きさの異なる点を並べることによって、イメージを表現する印刷技術。
ほとんどの印刷物におけるイメージはこの方法で印刷されている。
【網点とは】
http://home.ctn.ne.jp/m31/hanaoka-bbc/page6.html
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■ 7 ■ 漫画家志願からサッカー少年へ、そして僻地志願...
佐藤:あれだけ入れ込んでた漫画にしたって、作品を応募しようと思って
いろいろ描いてはいたんだけど、試行錯誤しているうちに中学生になっちゃって、
サッカー部に入ったんですけど、部活が忙しくなって漫画を描く時間がなくなっちゃったんですよね。
部活の合間に描いてたことは覚えてるんですけど……。でもサッカー部のヤツらって
サッカーのことしか考えてないから、漫画を描いてるって言うと異様な反応をするんですよ。
「サッカー部に所属して漫画を描いてるっていうことはいったいどんなサッカー漫画や?」とかって。
こっちとしては「なんでサッカー漫画なんか描かなあかんのや」と(笑)。
「漫画は漫画やろ」って言っても全然伝わらなかった。
そういうグループの中で過ごそうと思ったら、漫画なんか描いてられないですからねえ。
カツキさんなんかは、描いていたくちだと思うんだけど、僕はそっちの方に入っていって、
下手なんだけどサッカーばっかりやってた。で、そのうちに忘れちゃうんですよ。
漫画家になろうと思ってたことも、いろいろとモノをつくろうとしてたことも、ぜ〜んぶ。
編:で、高校に入って……
佐藤:高校の時までは、ずっとサッカーやってましたね。
編:サッカー少年だったんですかぁ。
佐藤:そのわりに下手でしたよ。あんなに時間かけて一所懸命やってたら、
もうちょっとうまくなってもよさそうなもんなんだけど。
読売クラブ(現・東京ヴェルディ1969)にまで練習しに行ったりしてたのに。
運動神経も根性も両方なかったから、結局向いてなかったってことなんでしょうけどね。
ただ……漫画の時もそうですけど、なんか、やることの順序っていうか動き方がへんでしょう?
いろいろやりすぎて最後には何をやってるのかよくわからなくなるところがあるんですよ。
中学の2年で大阪から東京に引っ越ししてるんですけど、そこにはサッカー部がなくってねえ。
そのことで、校長先生のところに話をしに行ったんですけど、
「ボールが外に出て地域住民の人に迷惑をかけるから」とか言われたんで、
周囲の民家を回ってお願いしたりして、結局、校長を説得してサッカー部をつくらせたんですよ。
そういう、なんかPTAがやるようなことまでやってて、サッカーは下手っていう(笑)。
ユニホームを自分でデザインして、つくってくれる店を探して仕立ててもらったり。
サッカー少年とか、そういうシロモノじゃないと思うんですよ。
で、そのサッカー部に、 一回り以上も年下の、TGBデザインの石浦くんが入部してますから、
僕が初代のGKで、石浦くんも十何代目かのGKで、これも何かの縁っていうか……
そんなんで、石浦くんなんかにも仲良くしてもらってますけど。
って、ぜんぜん関係ないですかね(笑)。で、何の話でしたっけ。
編:あはは、いや〜レアですね。
石浦さんがサッカーをエンジョイできたのは佐藤さんのおかげだったと。良い話ですね〜。
ではまた漫画に話を戻させていただきまして。一番好きだった、影響を受けた漫画家っていうのはどなたですか?
佐藤:漫画家は……小学生の頃まで遡ることになるから……石ノ森章太郎さんじゃないかな。
編:作品でいうと?
佐藤:作品でいうと、やっぱり『サイボーグ009』とかが決定的ですよね。
編:それは本屋さんで読んでいたんですか?
佐藤:はい。とにかく自分の行動範囲の中にある本屋さんの漫画コーナーのものは、
ほとんど読んでたと思うんですよ。立ち読みで。っていうか、座り読みで。
石ノ森章太郎とか、赤塚不二夫とか、手塚治虫とかを、ず〜っと、座り込んで。
藤子不二雄は……成人向けのHな漫画のことをちょっと憶えてるんですけど、
間はあんまりなくて、あとは完全に児童漫画の方だったから……。
もっと幼少まで遡ればもちろん読んでたし描いてもいたんですけど。
僕の世代で、幼稚園から小学校低学年にかけて、ちょっと絵が描けるヤツなら
『オバQ』を描かなかった人間はいないと思うんですよ。
だから、それはちょっと経験の質が違う気もするんだけど。あとは横山光輝※とかかなあ。
あのねえ、あの頃の漫画家って、児童漫画と成人漫画を同時に描いてたりするんですよね。
それがなんとなく匂うんですよ。その中でも、石ノ森章太郎だったなんじゃないかなあ。
なんか、未発達男児の下半身をうまいこと刺激してたのは。横山光輝からもそれが匂ってたし。
もちろん、藤子不二雄もそうなんですよ。カツキさんなんかそこをちゃんと突いてるでしょ?
編:あ〜、なるほど。嗅ぎ分けていたんですね〜(納得)
佐藤:で、石ノ森章太郎ですけど、『仮面ライダー』はテレビの方は僕あんまり好きじゃなかったんだけど、
単行本とかでは全部読んでるんですよ。それがまたおもしろくてねえ。
変身とかもね、最初はしないんですよ。仮面ライダーの衣装を普通に着るんですよ。
編:ええっ(笑)!?
佐藤:マスクとか、頭から被るんですよ(笑)。しかも、すごく暗い話で。
だいたいあの時代の話はみんな暗いですからね〜。
時代背景自体に、どっかこっか社会派が入ってますから。
ちょっと遡りますけど、小学校3.4年生の時は『サイボーグ009』のグループに
入りたいと思ってるんですよね(笑)。
あのグループに加わるにはどうすればいいかって考えてた。
「漫画の方は赤い服着てるのに、テレビの方では白い服を着てるのはどういうことだ?」とか
そういうことも思ってて、どうもおかしいぞ……なんて真面目に考えてましたね。
またちょっと遡ると、幼稚園から小学校1、2年生にかけては、完全な模写修行時代。
『巨人の星』(原作:梶原一騎・画:川崎のぼる)とかはムチャクチャ描いてましたよ〜。
もう、どのシーンも描けるように練習するんですよね。単行本は全部集めてきて。
「三つ子の魂百まで」じゃないけど、これなんかは今でもかなり描けるんじゃないかな。
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※横山光輝(よこやま・みつてる):1934年生まれ
代表作は『鉄人28号』『三国志』など。
SF、時代劇漫画、歴史漫画、少女漫画と、多方面で活躍し数多くの作品を発表。現在も精力的に活躍中。
【横山光輝の世界】
http://www.psymage.com/kei/index.html
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編:でも、子どもの頃って描いてましたよね。
漫画が好きだとやっぱり。キャラクターをね。自分のキャラクターが欲しいとか思いましたね。
佐藤:そうですよ〜。大竹伸朗※とかそういうアートの人だってそうだと思うし、
あの当時は手がちょっとでも動いて、そこでほめられたりとか、
「お前うまいね」とか言われる子は、みんな漫画志向だったと思いますね。
たとえば絵画部とかって小学校にも中学校にもあるんだけど、もうダサくてダサくて、
とにかくもうなんなんだこいつらっていうふうに思ってた。
絵だけを描いて良いの悪いの言ってること自体が格好悪いって思ってましたねえ。
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※大竹伸朗:1955年東京生まれ。ペインティングのみならず、立体、グラフィックデザイン、
文筆や音楽など幅広いメディアを用いて精力的に活動を展開しているアーティスト。
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編:写生大会とかではやっぱり
“いくら手を抜いても上手く描けちゃうんだよね”
っていう方だったんですか? 漫画上手い子って普通に何を描かせても上手じゃないですか。
佐藤:模写はね。でも表現力はないんですよ。先生にほめられるような、
のびのびとしたいい絵っていうのではまったくないし。
とにかく模写はしてましたけど。まあ……一種の病気ですからね(笑)。
あれだけの時間と労力を投入してるんだから、差がつかない方がおかしいんですよ。
だから、もう手を動かしてない時はなかったです。
それこそ、イチローがお父さんと一緒に素振りしていたのと同じようなもので、
才能があればイチローまでいくし、いかなければそこそこ……
でも、そこそこでも草野球やらせてみたら、やっぱり周囲の人間よりはうまいわけで。
でもやっぱりね、はっきりしてるのは、才能はなかったんですよ。
分析したり模写したりっていうことは好きなんだけど。カツキさんが小学校の時に
8ミリ撮ったりとかしていたように、自分で創作するタイプっていうのが、
どこの学校にもいると思うんですけど、そういう部分は一切なかったんですね。
だから当然、離れるべくして離れたんだろうと思うし。
そこで一回離れてるから、デザインであろうが美術であろうが、
手を動かして定着させる仕事に関してはもう、自分の中では完全に落第してるわけで。
それで、何をしようかなぁと思ってサッカーをやってみたりもしたわけだけど
大してうまくもならないし、勉強もしてきたわけじゃないから、
じゃあ、僻地(へきち)の先生かなと……。
編:(爆笑)。じゃあ、高校卒業間近くらいに僻地かなと思ったんですね。
EPISODE 4 佐藤さんの生い立ち-20代慕情編- へ